海の見えない街より愛をこめて

好きって絶望だよね

現代のインターネットにおける死とメンタルヘルスの消費、そしていつも世界をみている美少女

※本記事は自傷行為・自殺を推奨するものではありません。該当する話題に便乗したいわけでもありません。ただただ一個人の考え・思想であることをご理解いただけると幸いです。メンタルヘルス自死についての話題を扱うので精神が不安定な方はブラウザバックしてください。不安や希死念慮を感じて苦しい人は周りの方や機関に相談してください。この記事に書かれていることでよくないこととしてあげているものを実行したりしないでください。

そして私は自殺について肯定的な考えも否定的な考えも持たないようにしているが、自死を推奨する意図も自死を選んだ方を否定する意図も持っていません。

どこかの誰かが心安らかに生きられることを願っているので。

 

これはサブカルチャー批評でもあるし私の思考メモでもあります。間違いもあります。

 

原題:現代(令和のインターネット)における死とメンタルヘルスの消費、Z世代の若者の文化、そしてあの頃の美少女ゲームヒロイン

言及していることが風呂敷状に広がってきてしまい、上手くタイトルにまとめようとしたところはてなブログに恐らくタイトルの文字数上限が存在せずこのままだとひどく長ったらしいタイトルをつけそうで怖かったのでこちらに書いたけど要らなかったかもしれない。

 

昨年度似たようなテーマで書いた記事「2010年代メンヘラカルチャーと現代」「NEEDY GIRL OVERDOSEとメンヘラのコンテンツ化」からもうすぐ1年が経過しそうなのと、最近また美少女ゲームに触れ始めたり色々な方とお話ししていくうちに考えたことが増えてきたので2024年もこの話をしていこうと思う。

2010年代メンヘラカルチャーと現代(2023-04-17) - 海の見えない街より愛をこめて

NEEDY GIRL OVERDOSEの問題点とメンヘラのコンテンツ化(2023-06-24) - 海の見えない街より愛をこめて

気になった方はこちらの記事を読んで頂けると少し嬉しいです。

 

こういうセンシティブな話題は恐らくはてな匿名ダイアリーなどに放流すべきだとは思っているのだけど、過去に2本ブログ内で記事を上げているのでここで今更日和ってもなあ……となったので今回もここで書かせて頂きます。浅葱ねるなです。

 

最近インターネットでかなりモヤモヤしたのは自死メンタルヘルスについての創作における他人への影響などです。身も蓋もないことを言ってしまえば、つまり自死を選んでしまった人間の消費。

(私が勝手にお友達だと思っている)ツヅキエイミさんは、7年前に亡くしてしまった友人の女の子を題材にずっと死や希死念慮、生きることへの苦しみを抱えた女の子の絵を描き続けている。

あまりにも死や題材の女の子への触れ方が露骨だったイラストもあり、部外者の私が心配になったり心を病んでしまったときもあった。

それくらい創作物は受け手に感動も与えるが心をえぐり取るような力を持っていることをみんなも私も自覚するべきだと思っている。

数日前に題材となっている女の子のお母さまから「仲良くしてくれてありがとう」とお手紙をもらったとツイートしていた。私も少しうれしかった。

亡くなってしまった人間にとって最も悲しいことはその人のことを忘れてしまうことだと思うから。

関係ない人間から心無い言葉を浴びせられたりしたことも多数あっただろうけど、私はツヅキエイミさんのイラストが大好きだしこれからも描き続けてほしい。

今度またご飯食べに行こうね。

 

そして今のTwitterを眺めていれば一度は目にしているであろう、星宮ポコさんの「100日後に輝く地雷系」の四コマ漫画。私も1日目からずっと毎日楽しみに拝読させていただいている。

1日目から読んでいない人にざっくりとあらすじを説明させていただくと、メンズ地下アイドル(メン地下)のファンのひなちゃんとみどりちゃんという女の子2人が各々の推しにめちゃくちゃにされていきそのうち人生までぐちゃぐちゃに……といった感じである。

 

私はSNSで見かけるようなバリバリの推し活といった推し活をしたことがないしメン地下に全く興味がない人間なので、実際のメン地下やメンズコンカフェキャストが裏でどういった感じになっているのかとかもTwitterのおすすめ欄に流れてきた事象以外何も知らない。

(補足:推しの女性アイドルの方や好きなVtuberの方はいるが、グッズはほしいときに買うとかそういった感じなのでガチで推している方には怒られてしまいそうなレベルでゆるい応援をしている、そして推しとは自分の手の届かない存在なので繋がりたい、仲良くしたいと思ったことはない)

推し活という言葉がなかった時代(私が中学生の頃など)は歌い手やアイドルを推すことはもっとライトなものだったと記憶している。

その頃にももちろん毎朝推しのTwitterアカウントをメンションして過剰すぎる程の愛をツイートする者や毎日DMを送るオタクなどヤバい人はたくさんいたし未成年淫行などはニコ生全盛期からずっと存在した。

推しに認知されたいという思いはどの年代のオタクも抱えてきたものだと思う。

推しにグッズを買いまくることで貢ぐ=偉い(そりゃ偉いとは思うが)、グッズ購入してない人は人権がないなどの思想や缶バッジやアクキーなどの同一グッズを大量に購入し綺麗に並べたり多少雑に扱っているところを動画に撮ってSNSに投稿するなどは昔はメジャーな思想ではなかったような気がする。

TikTokアンチだった時期が長かったこととTikTokを眺めていると精神的に摩耗することが多すぎて明確にいつから〜などは断定できない。

でも名前くらいしか知らない活動者やよく見ているVtuberなどのグッズの持っている数量自慢のような投稿、担降り(推すのをやめた)宣言と共にグッズをぐちゃぐちゃにしたり雑に扱う投稿が本当にずっとおすすめに表示され続ける。疲れる。いつから好きなものや人を応援することが札束で殴り合うような感じになってしまったんだろう。

「100日後に輝く地雷系」でも序盤で描かれているが、やっぱりチェキ券を買いまくった人がいちばん優遇されたり推しと繋がれたりする。

地下アイドル(恐らく地方拠点と踏んでいる)であれどのコンテンツであれ、お金を出している人間が偉いのは認める。でもそれを恐らくお小遣いをもらっているかちょっとバイトしているか……くらいの中高生がなぞっているのは少し辛いものがある。

グッズの数量=愛の大きさじゃない、自分が無理をせずに楽しく応援しているのが正しいあるべき推し活の姿なんじゃないかと思う。

追記:ラニーノーズのファンの人のnoteが話題になったことによって推し活文化のあり方とはみたいな話がインターネットで活発になっていますね。自他境界が曖昧な人間が推し活をするとどうなるかという具体例ではあるけれど、自分もいつそうなってしまうかわからなくて怖い。

 

そしてNEEDY GIRL OVERDOSEの問題点の記事でも言及した、作中でのOD(オーバードーズ)。

コマの横に*薬の過剰摂取はやめましょう*とありますが、それの抑止力はあまり存在しないと思う。それで過剰摂取を抑止できていればNEEDY GIRL OVERDOSEでの超てんちゃんを見てブロンやメジコンに手を出す人間なんていないと思う。

ODのきっかけはSNSで発信されるOD当事者の「トリップ」「非日常」「気持ちいい」「私も理解したい」だと思っている。

全部は「私も理解したい」に詰まっていると思う。

かわいい○○ちゃん(自撮り界隈のメンタルヘルス系の人間)がやっていることだから私もその感覚を理解したい、好きな人がやっているから私も理解したい、あとはトー横で流行っているから……みたいなのも多い気がする。

若者のODはこのままだともっと増えていくと思う。薬局やドラッグストアも咳止め薬を買おうとしたらめちゃくちゃしつこく聞いてくるようになった(ありがたいけど咳き込みすぎてつらいときだと喋るのつらいからつらい!)

どうしたら状況が改善するのかどうかもわからない、これは主にインターネットに住まう人々にとってのカルト宗教でも電波でもなんでもなく救いを求める縋りだと思うから。縋ることは誰にも止められないし止めちゃいけないと思ってるから縋っている人間を怒れない。

これを読んだ誰かが1人でもいいから自発的に回数を減らそうとがんばるとか然るべき機関に相談に行くとかそういうことをしてくれたらかなりうれしいなあ、と思う。

 

私も死やメンタルヘルスに関するブログを書くとき、かなりめちゃくちゃに気をつけている。

ブログを読んだフォロワーから「いちばん楽に死ねる自殺方法教えてください」とDMが来たことがある。私はカウンセラーでもメンヘラご意見番でもない。というかいちばん楽に死ねる方法を知っていたら私はもうとっくに死んでいるだろうし、知っていたとしても教えたら自殺教唆で捕まってしまう。

それ以来、そういう相談DMが来ないようにブログ上でも我関せずといった態度を取らなければいけなくなった。

 

そういうお前はどうなんだ、実在のメンヘラと呼ばれる人間を消費していないのかよ、と思うかもしれない。

私は自らの鍵アカウントで去年自死した女子高生2人のアカウントをフォローしているし、ろろちゃんもメンヘラ神もフォローしている。

精神の状態がかなり悪く自殺したい気持ちのときはTogetterまとめの故人のアカウント一覧と最後のツイートを眺めている。

もし自分が自死を選んだ場合、私のSNSは動かなくなる。それは他者から見たらどういう気持ちなんだろうか……という気持ちと、時間がもう二度と進むことがないアカウントって美しいし悲しいなという不謹慎エモ消費で見ている2つの気持ちがある。

このブログで故人の話を掘り返して書いている時点で私は十分に不謹慎でカスだと思う。

 

しかし私はただの不謹慎エモカスで終わろうとはせず、生前その人が何を考えていたかについて思いをめぐらせる。

昨年自殺してしまった2人の女子高生のアカウント。

最後のご飯として上がっているツイートの写真の奥にストゼロの缶が見える。

私はストゼロアンチすぎてストゼロを飲んでいる人間の周りの原因のような概念のことを文化的貧困と呼んでいるのだが、やはりこの子たちは地雷系などの文化にハマっていたのか、それともトー横とかのメンヘラ文化にハマってストゼロを飲んでいるのか気になってしまった。

地雷系のカワイイの象徴としてピンクのモンエナがトップを張っていた頃なんてかわいいもので、今は地雷系ぴえん女子といえばストゼロとかになってきていた気がする。

成人して3日の地雷系の友達がインスタのストーリーにストゼロをあげていたときはスミノフアイスでも飲んでおきなさい!と叱った。

ストゼロに友達を数人めちゃくちゃにされたりアル中になったフォロワーがめちゃくちゃいるので私は強烈にストゼロアンチです。飲んでみたら意外と飲める味をしているのが憎い。

まあ私の話なんかはどうでもよく、

女子高生が未成年飲酒をしていたことも一旦棚に上げておいて、

最後のご飯のツイートにストゼロが写っていることがすごく退廃的で辛かった。

ストゼロを飲んでいる友達にどうして他にも美味しい缶チューハイはたくさんあるのにどうしてわざわざストゼロを?と尋ねたところ、少量でいい感じに酔っぱらえるからという答えが多かった。

考えすぎかもしれないがやっぱり死というものが恐ろしいという気持ちで人生最後のご飯をストゼロと共に食していたのだろうか。

 

死という概念は誰にとっても平等に訪れるものであるし、恐怖の象徴である。

世界三大宗教やそれに類する大きめの宗教についても死がどのように扱われているかわからないので断定はできないが死は恐怖である。

新興宗教(もしくはカルト宗教)によっては死は救済とされているかもしれないがそれも結局恐怖によって作られたものだと思っている。

全ての宗教や哲学者の形而上学的な話には絶対に生と死の概念が付きまとってくると思う。

やはり死ぬことは全員恐ろしく、死後に苦しいこともまた嫌なのでみんな生きることと死ぬこと、そして死後の世界について考え始める。

本当に宗教分野への知識がなく申し訳ないのに例として仏教用語を用いらせていただくが、成仏ということばがある。

特に仏教徒ではない人間も成仏ということばを日常的というほどでもないが使っているし、少なくともみんな1度は死後の世界がどうなっているのかについて考えたことがあるとは思う。(母親の知り合いのお坊さんは死後の世界は存在しない、と断言していたらしいが……)

 

何もわからないから怖い。早く死にたいし死にたくないし全員等しく死んでしまうことが怖くて震えることも全部ある。

だからみんなアルコールに頼ったり薬を飲んで現実から逃げたいんだと思う。

でも現実は全ての人々に等しく戻ってくるし視界を嫌という程被ってくるし何も分からないことを見せてくる。

それでもインターネットで見える範囲では明るく生きようとしていたし破天荒なメンヘラ神が今でも大好きです。彼女のブログが大好きすぎるのでわたしは今でもはてなブログを使っています。

 

現代のメンヘラは超てんちゃんに影響を受けているというようなことを書いたけれど、昔は厨二病という形でかっこいいと思って自傷をする女の子とかはいても美少女キャラクターに惹かれて自傷行為に走る人はいなかったと思う。

過激な行為に走る美少女キャラクターはだいたい18禁の美少女ゲームのキャラクターだったからだと思う。

後は当時は恐らくエロゲをプレイするオタクはオタクの最下層だと言われていたと思うしエロゲが女子中高生にまで届く方が稀だったと思うから……。

私がもし女子中高生のときに『素晴らしき日々』とかに何かの間違いで触れてしまっていたらすごい危なかった。絶対に高島ざくろの下位互換みたいな電波ゆんゆん少女になってしまっていたと思う。

触れていなくても私の小学生のときの自認はボクっ娘魔法少女でした……。(誰しも自分が特別な存在だと認めたくて仕方がない時期ってあるよね!)

 

素晴らしき日々』関連の元ネタを色々調べていたら、ちゆ12歳さんの2007年の記事で戦士症候群についての記事があった。

『ムー』読者ページの“前世少女”年表 - ちゆ12歳

戦士症候群は80年代にオカルト雑誌『ムー』の文通相手募集欄にて発生したムーブメント。

「戦士として目覚めた」「前世の記憶を取り戻した」「前世で繋がっていた人を探しています」といった急に特殊能力に目覚めたり前世の記憶を取り戻した人と連絡を取ろうとする少女たちが続出した。

高島ざくろへのメールの石の塔の戦い……みたいなやつは完全に戦士症候群が元ネタだと思う。見つけられてうれしい。それはさておき。

思春期特有の微笑ましい思考だと思い過ごせていればよかったものの、1989年には徳島県で小中学生女子3名が解熱剤を大量に飲む""自殺ごっこ""をして救急搬送される事件が起きた。

紙に書かれた筋書きには「前世は美しいお姫様」「前世を覗くために1度死んで戻るつもりだった」と書かれていたらしい。

特定のアニメやゲームの影響ではないものの、数年ほど戦士症候群は続いていたそうなので恐ろしいなと思う。

インターネットではなく雑誌上の文通相手募集欄でこのようなことが起こってしまうのはSNSが発達しすぎた現代では考えられないことだと思う。

 

結局のところ、2023〜2024年のインターネットのアングラではなかった人に知識としてリストカットオーバードーズをもたらしてしまった一端としてあるものとしてNEEDY GIRL OVERDOSEがあることは間違いないけれど、遅かれ早かれトー横の人間などによってもたらされていたことは予測できる。

追記:私はにゃるらアンチではないしどちらかというと尊敬しています、私がこうして文章を書き始めるきっかけをくれたのはおそらく彼です。

 

現実の人間もアニメキャラも、生きることに苦しみを感じたり葛藤しながら生きているけれどアニメキャラは甦れても現実の人間は死んだら生き返れないし、死ぬのは怖いし世界はあんまり美しくない。

最近の若い人は(わたし含め)生きる意味を他人に委ねすぎだと思う、でも委ねないのもかなり難しい。死んでも美しくもなければ生きてても美しくなくて苦しい。

生きてても絶対にいいことがあるとは断言できないけど、それでも生きようね。

 

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生きてインターネットで会おうね!

「幸福に生きよ!」の意義は物語の奥にあるし物語に価値の優劣はないと思う

哲学的なものに興味を持っていたのはその前からだったけど、自分の「死は救済」といった後ろ向きな思考に終止符を打ってくれたのは、すば日々序章のざくろと2章の希実香だったし「幸福に生きよ!」という言葉からウィトゲンシュタインに興味を持たせてくれたすば日々に感謝している

 

最近Twitterでオタクが教養がどうとかそういった話になりがちだけど、私は序章のざくろルートに入った時に「銀河鉄道の夜だ!読んだことない!読んだ方がいいかも!」となって初めて銀河鉄道の夜を読んだし、臨死体験の話だということは友達から言われて知った

先にゲームのボーンになっている哲学や文学に触れていたとてその人が偉いわけではないし、その奥にある読み手や作り手の人それぞれの解釈によるメッセージ性という楽しみがあることを理解できない人は私よりはつまらない人生だなと思う

 

哲学サークルの自己紹介でウィトゲンシュタイン気になってて……って言って、何がきっかけなの?って話でゲームから……って恥ずかしくなりながら答えたけど冷や水を浴びせてくる人はいなかった

 

すば日々に冷や水を浴びせるような発言をしたのはフォロワーなんだけど、そういう作品のことを哲学的な視点でも楽しんでいる人だと思っていたので少し悲しかった

2024-03-12

お風呂に入れている頻度が減ってきたことと眠る時間が増えたことで寝転がったときに髪からパンケーキみたいな匂いがしたけれど汗なんだよな……と思った

 

SNSはどうせ現実で会わないし嫌な人はブロックしよう!みたいな言説があるけど、現実とインターネットがほぼ地続きみたいな感じなのでときどき苦しくなる

つかれた

日記(2024-02-22) 連れ出されるということ

しっとりとした鬱がきた。気分の波というのも躁と鬱にきっちり分かれるものではなく、グラデーションのようにゆらめいているものだと勝手に思っている。

無理をすることも自分を鼓舞することもできず、ただただちびちびとお酒を飲むだけになる。

ひたすら缶チューハイを開け続けTwitterで暴言や愚痴ツイートをするよりはマシだとは思う。

ドア代についてきたワンドリンクのビールの1瓶を数時間かけても飲みきれない。

落ち込んで隅でスマホを触っている後ろで流れているのはサイケデリックミュージック。

周りにいる人たちは私よりも年上なのにみんな元気だと思ってしまう。全員が全員健常なのではなく躁状態の人もいるのだと勝手に思うことにしている。

美味しいスパークリングワインを手渡されても乾杯の音頭に呼応する声すら出ず、自分だけが海の底から水面と地上の楽園を眺めている気持ちになった。

人魚姫のお話では声が出ないのは地上だったっけ、と思い出す。

フロアでもなくバーカウンターの隅で持参したiPadに絵を描き続けていたがそんな気力もなくなり、ずっとスマホに表示されるツイートをなぞりつづけていた。

友人にフロアに連れ出されたときに放っておいてほしかった旨を鍵アカウントでツイートしたあとに友人を傷つけてしまうことに気がついて反省。

精神的な体調によって元気がない人間にも配慮がほしいと配慮されたがる分際で思ってしまった。

元気がないことを落ち着いている、としてなんとかアプローチできないかと最近よく考える。

一悶着あってから話しかけづらくなっていたともだちのLINEのブロックを解除して話しかけてみた。なんとなく緩くではあったけど信頼関係をここから取り戻していけたらいいなと思った。

年上の同性から嫌なことを言われてヘラヘラ愛想笑いをする自分のことを情けなく思い他人だと思って俯瞰したけれど、反発をしないことが正解であることもあると思って堪えた。

他者にこれ以上挑発されないために通常の自分以上の馬鹿を演じることがどんなに苦しいことか。

それでもビールが美味しいことで乗り切った。

ツイートで言っていいこととよくないことの分別をつけようと思って何かを吐き出しても2分で消せるようになった。

我慢することが大人というならば、わたしはこれから先数年後数十年後どうなっていくのだろう。

 

先月一気に購入した暗殺教室が面白かった。

潮田渚さんのことが本当に好きだけれど茅野カエデさんがとても魅力的というか人間として素敵な女性すぎて勝てないと思った。

私は自己肯定感が低いし人間としても最悪な人間なので作中のキャラクターではなくてよかったなと思った。

それはさておいて、全てのモブキャラクターもモブにならない引き立ちがあって凄かった。

セカイの主人公は誰しもが自分になりえるのかもしれないと思った。

モブキャラでも輝きたい。

 

Twitterみんくるが流行っている。みんくるのことが異常に愛おしく思えてきた。私もみんくると暮らしたい。

 

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雪が降り積もり続ける土地に住む人間として、Kanonをプレイする。雪解けの春について考える。

水瀬名雪さんがメインヒロインよりもヒロインぽいと思う。

月宮あゆさんが大変な事態のときに異常に落ち着いていること、うきうきしているいつもの性格が作っている性格なのかもしれないと思う。

私はそういうキャラクターに弱い。うぐぅ

 

冬の街の話の数年後、20年以上前のゲームの中の遠い海のことを考える。知らない街の知らない学校の天文部に入りたい。空はよく澄んでいて、星がよく見える。階段を上がって屋上の扉を開ければ、そこには知らない女の子がいて、きっと微笑んでくれると思っている。

きっとね。

 

それはきっと遠い夢のお話とかだと思う。そろそろ現実に戻らなきゃね。

思考メモ 2024-02-09

友人へのLINEより抜粋。

 

自分が悪いことをして自分が悪いと自覚してから涙が出てくる自分が許してもらいたがっていていちばん愚かでゴミだと思っていて早く死ぬべきなのはわたしだとおもっているし、誰かと何かをがんばろうとすること自体よくないことで、これを送ること自体心の底では許してもらいたがっていて自分は笑っているんじゃないかとずっと不安で

 

自分が考えていること自体、誰かから評価されたりよく見られたり好いてもらうための嘘でハリボテだったらどうしようってずっと思っていて

 

頑張りたい気持ちも全部嘘だったらどうしようって思って

 

ほんとは生きる気がなくて早く死にたいのに頑張るって嘘ついてるかもしれないし

誰かを騙しているかもしれないのに

 

私が苦しくて奥まったところへ動くのも

全部人に構ってもらいたいからかもしれないし

 

自分が思っていることよりも深層に自分の思考に裏があるかもしれないと思ったら

怖くて

 

今もあとでこれを思考メモとしてブログに書いておこうと思った自分がすごい恥ずかしいし

こんなときでも

自分はそういう方向の思考しかできなくて

 

私は生きてていいのかわかんないし

このまま誰かを騙したり自分でもわからないうちに嘘をついていくんじゃないかと

 

自分が言ったことも時間が経てば守れなくて嘘になるかもしれなくて

それも全部怖くて

 

本当のこととして話した不確定な未来のことが変わっていくのが怖い

 

ずっと誰かを失望させて落胆させて生きていくんだ

 

期待されていないのも期待されないのもそれはそれで苦しいことで

どうすればいいんだろうね

わがままだよね

 

わたしもきっと信用も期待もされてないんだろうなってつらくなってる

アニメキャラに看取られること、この世界がセカイ系じゃなくてよかった

車椅子に乗った作者がアニメキャラに心配されているイラストが宗教画だと言われていて、私もそのイラストが好きだと思っている。

精神が苦しい人を追い詰めると名文が生み出されるという話があるが、それはほんとうだと思う。

宗教画のようなイラストの作者はそれが絵の発想に至ったのだと思う。

私は死ぬ時にそばに居て欲しいアニメキャラについてずっと考えていた。

それがラッカさんだった場合、私が死んだらグリの街へ連れていってくれるのかな。

遠野美凪さんは泣いているのかな、神尾観鈴さんは泣かないように笑顔でいてくれるのかな、本間芽衣子さんはどんな顔をするんだろう、赤羽業さんと潮田渚さんはわからないな。

鹿目まどかが人として死ぬところを見た暁美ほむらは泣いていたけれど、最後はどんな顔をしていたっけ。

椎名まゆりを助けようとする岡部倫太郎は、どんな表情だったっけ。

私が世界に絶望しても、大切なものを失って別の世界を望もうとも、この世はセカイ系作品ではないから別の世界線へは飛ばせてくれないんだと思う。

絶望の分だけ自分は穢れていくし、大切なものはどんどんなくなっていって取り返しのつかないこの世界なんて

世界をやり直せない中、自分がどん底に落ちてもそれを受け入れて泣きながら自分の足で立って、それを認めていくしかない。

もう自分は取り返しのつかないことなんていくらでもあるし、後悔していることもたくさんある。

どん底に1度落ちてしまえば怖いものなんてないと思っているけれど、もし自分が考えているどん底よりも下があったら?

自分は人生はセカイ系に準ずるものではないことを諦めきれない。

誰かと出会う前をもう一度やり直したい、今度こそあなたと良好な関係を築けたら、その願いは一生叶えられないんだと思う。

生きていることも生まれてくることも嫌だったのに、世界線を変えて時間を巻き戻してまで苦しい思いをしてまで数ヶ月長く生きて活動するのを繰り返すことが幸せとは思えないし不幸だと思う。

自分がどうすればいいのかわからない。人生に2度目があるかどうかは宗教や自分の考えによって変わってくるけど、自分はもう一度人生をやるくらいならこの世界がセカイ系であることを望む。

救えなかった人を救う、自分が誤ったせいで上手くいかなかった人間関係をもう一度やり直したい、それは傲慢だから黙っておいた方がいいかもしれないと思うのでここに書き散らす。

自分に誰かを救う心の余裕もない。

灰羽連盟のラッカさんへ。どうか私を助けてください。次こそは人生を上手くやりたいんです。

、(2024-01-20)

脳内をそのままインターネットに繋いで出力しています。

自分の愚かさだけがずっと見えている。他人を傷つけるだけ傷つけておいて自分のことも守れず、かといって自分のことを攻撃もできず苦しい。 

私が鬱病でも躁鬱でもアル中になりかけでも、自分が愛されたい人から愛されたい、愛してほしいという気持ちだけがずっとある。

ブルーアーカイブでもし先生と生徒が付き合った場合、1人以外の生徒はみんな負けヒロインになってしまうんだという気持ちがあるし、あんなにかわいいし麗しい皆さんの中から1人を選ぶことなんて到底難しいし目移りしてしまいそうだ。

自分のことがずっと嫌いで自分のことも愛せないのに好きな人から愛されてはいたいというわがままだけを言い続けてこのまま死んでいくんだろうなと思う。

誰かに心配して貰えても、それが好きな人からの心配であろうと自分はそれを受け入れられずに今日も飲酒をしているしこのまま潰れていなくなりそうな気がして怖い。

今日ずっと死ぬ事を考えていた。幸せなうちに死ねることが1番幸せだと思った。数日前に感じていた幸せは跡形もなく消えていて残酷だと思った。

美坂栞のバッドエンドが美しかった。エロゲのバッドエンドが美しいのは退廃と失敗が存在するからであろうと思った、Kanonで救われなかったヒロインは救われることなく、深く関わることもなかったからヒロインの苦しみも知ることなくヒロインは泣いていくんだろうな

私もギャルゲーのヒロインになって、選ばれなくてもいいから綺麗に物語になってほしい、シナリオのプロット段階で切り捨てられる人生を今の自分が歩んでいる気がしてかなり嫌だ。

存在するだけで美しい存在になりたい。綺麗なBGMとかつけられたい。アニメになりたい。

酔っているときの自分の絵はたくさん傾いている日線はぐちゃぐちゃだしかろうじて人間のかたちをとっているだけだけど本当にかわいい。