私は生まれてきたことをよく思っていない。
それでも「生きててよかった!」と心から思えた時はある。「生まれてこなければよかった」と落ち込む時はその数倍にも及ぶけれども。
私は未熟児でほぼ半分死にかけみたいな状態で産まれてきた。「もう助かりません」と病院にたらい回しにされて3つ目くらいの病院でようやく命を救われたらしい。
姉は死産だったけれど、私は生まれてきた。
姉の時はダメだったけれど私は助けられた。
産後うつだった母親はとても喜んだのだと思う。
しかし母親と父親には半ば育児放棄をされて私は幼少期を祖父母の元で過ごした。幼稚園の頃辺りの母親や父親との記憶があまりない。参観日や運動会に来てくれたこともなかったと思う。
小学生になって母親と父親と同居するようになった。
母親に怒られて「あんたなんか死ね」「産まなきゃよかった」と言われたことは今でも覚えている。母親から「私は子供いらなかったのにお父さんが『子供ほしい』って言ったから産んだのに産まれたら『やっぱりいらない』って言ったんだよ」と言われたのはすごくショックだった。私の存在は誰にも望まれてなかったんだと思った。
母親と父親が怒鳴り合いの喧嘩をしているのを何度も見た。数年経ったら離婚した。母子家庭になった。
私がいなければ喧嘩の原因も少なかったんだろうなと時々思う。
前述の暴言からもわかる通り、母親は厳しかった。
去年の誕生日に「お誕生日おめでとうって言ってよ!」とLINEをしたら「生きててごめんなさいって言え」、と突き返されて大泣きした。
頑張っても結果を出せなかったら褒めて貰えなかった。人に褒められた記憶があまりない。
幼稚園の頃に似顔絵を描いたら喜んでくれたりした、それくらいの難易度で褒められたかった。
小学生の頃は褒められたら嬉しいから勉強していた。
私は高校生になっても人に褒められたくて勉強をしていた。(やる気をほとんど失っていたので実際にはしていなかったけど)
それをだいぶ前に母親に伝えたら褒められるためにやるのは違うと言われた。あんたがもっと昔にたくさん褒めてくれていれば……!と言いかけて飲み込んだ。
「生きててえらい」では若干響かなくなってきたけれど、誰かに褒められるとすごくうれしい。顔がかわいいとか性格が良いとかじゃなくて努力を褒められたい。
自分で自分を褒められる点は顔面しかないし他人に褒めて貰えるとすごく嬉しいけどちょっと違う。
受験に失敗して「努力しても報われるわけじゃない」と思ってからはめっきり努力をしなくなってしまった。
あとなんか気づいたら不登校になってたしメンヘラの仲間入りをしていた。メンヘラのことを中学生のときに散々心の中でバカにしていたのにメンヘラになってしまった。
努力もできない、自己肯定感は低いくせにプライドだけ無駄に高い、構ってほしがりのメンヘラ、で本当に最悪な人間になっている。
「生まれてこなければよかった」と思ったけれどそれはすごく難しいし、生きていてよかったと思えることはあるのでそれが最善だとは思えない。
家庭環境が精神に優しくて家族の仲がとても良くて自己肯定感が上がる環境で育ちたかった。
なんでもいいから幼少期のときにたくさん褒めてもらって変な承認欲求を持ちたくなかった。
性格が歪んでしまったことは十分に理解しているし、歪んだ部分を全て把握して真っ直ぐにするのはとても難しいからせめて幼少期からやり直したい。
来世はいい子になれますように