海の見えない街より愛をこめて

好きって絶望だよね

現代のインターネットにおける死とメンタルヘルスの消費、そしていつも世界をみている美少女

※本記事は自傷行為・自殺を推奨するものではありません。該当する話題に便乗したいわけでもありません。ただただ一個人の考え・思想であることをご理解いただけると幸いです。メンタルヘルス自死についての話題を扱うので精神が不安定な方はブラウザバックしてください。不安や希死念慮を感じて苦しい人は周りの方や機関に相談してください。この記事に書かれていることでよくないこととしてあげているものを実行したりしないでください。

そして私は自殺について肯定的な考えも否定的な考えも持たないようにしているが、自死を推奨する意図も自死を選んだ方を否定する意図も持っていません。

どこかの誰かが心安らかに生きられることを願っているので。

 

これはサブカルチャー批評でもあるし私の思考メモでもあります。間違いもあります。

 

原題:現代(令和のインターネット)における死とメンタルヘルスの消費、Z世代の若者の文化、そしてあの頃の美少女ゲームヒロイン

言及していることが風呂敷状に広がってきてしまい、上手くタイトルにまとめようとしたところはてなブログに恐らくタイトルの文字数上限が存在せずこのままだとひどく長ったらしいタイトルをつけそうで怖かったのでこちらに書いたけど要らなかったかもしれない。

 

昨年度似たようなテーマで書いた記事「2010年代メンヘラカルチャーと現代」「NEEDY GIRL OVERDOSEとメンヘラのコンテンツ化」からもうすぐ1年が経過しそうなのと、最近また美少女ゲームに触れ始めたり色々な方とお話ししていくうちに考えたことが増えてきたので2024年もこの話をしていこうと思う。

2010年代メンヘラカルチャーと現代(2023-04-17) - 海の見えない街より愛をこめて

NEEDY GIRL OVERDOSEの問題点とメンヘラのコンテンツ化(2023-06-24) - 海の見えない街より愛をこめて

気になった方はこちらの記事を読んで頂けると少し嬉しいです。

 

こういうセンシティブな話題は恐らくはてな匿名ダイアリーなどに放流すべきだとは思っているのだけど、過去に2本ブログ内で記事を上げているのでここで今更日和ってもなあ……となったので今回もここで書かせて頂きます。浅葱ねるなです。

 

最近インターネットでかなりモヤモヤしたのは自死メンタルヘルスについての創作における他人への影響などです。身も蓋もないことを言ってしまえば、つまり自死を選んでしまった人間の消費。

(私が勝手にお友達だと思っている)ツヅキエイミさんは、7年前に亡くしてしまった友人の女の子を題材にずっと死や希死念慮、生きることへの苦しみを抱えた女の子の絵を描き続けている。

あまりにも死や題材の女の子への触れ方が露骨だったイラストもあり、部外者の私が心配になったり心を病んでしまったときもあった。

それくらい創作物は受け手に感動も与えるが心をえぐり取るような力を持っていることをみんなも私も自覚するべきだと思っている。

数日前に題材となっている女の子のお母さまから「仲良くしてくれてありがとう」とお手紙をもらったとツイートしていた。私も少しうれしかった。

亡くなってしまった人間にとって最も悲しいことはその人のことを忘れてしまうことだと思うから。

関係ない人間から心無い言葉を浴びせられたりしたことも多数あっただろうけど、私はツヅキエイミさんのイラストが大好きだしこれからも描き続けてほしい。

今度またご飯食べに行こうね。

 

そして今のTwitterを眺めていれば一度は目にしているであろう、星宮ポコさんの「100日後に輝く地雷系」の四コマ漫画。私も1日目からずっと毎日楽しみに拝読させていただいている。

1日目から読んでいない人にざっくりとあらすじを説明させていただくと、メンズ地下アイドル(メン地下)のファンのひなちゃんとみどりちゃんという女の子2人が各々の推しにめちゃくちゃにされていきそのうち人生までぐちゃぐちゃに……といった感じである。

 

私はSNSで見かけるようなバリバリの推し活といった推し活をしたことがないしメン地下に全く興味がない人間なので、実際のメン地下やメンズコンカフェキャストが裏でどういった感じになっているのかとかもTwitterのおすすめ欄に流れてきた事象以外何も知らない。

(補足:推しの女性アイドルの方や好きなVtuberの方はいるが、グッズはほしいときに買うとかそういった感じなのでガチで推している方には怒られてしまいそうなレベルでゆるい応援をしている、そして推しとは自分の手の届かない存在なので繋がりたい、仲良くしたいと思ったことはない)

推し活という言葉がなかった時代(私が中学生の頃など)は歌い手やアイドルを推すことはもっとライトなものだったと記憶している。

その頃にももちろん毎朝推しのTwitterアカウントをメンションして過剰すぎる程の愛をツイートする者や毎日DMを送るオタクなどヤバい人はたくさんいたし未成年淫行などはニコ生全盛期からずっと存在した。

推しに認知されたいという思いはどの年代のオタクも抱えてきたものだと思う。

推しにグッズを買いまくることで貢ぐ=偉い(そりゃ偉いとは思うが)、グッズ購入してない人は人権がないなどの思想や缶バッジやアクキーなどの同一グッズを大量に購入し綺麗に並べたり多少雑に扱っているところを動画に撮ってSNSに投稿するなどは昔はメジャーな思想ではなかったような気がする。

TikTokアンチだった時期が長かったこととTikTokを眺めていると精神的に摩耗することが多すぎて明確にいつから〜などは断定できない。

でも名前くらいしか知らない活動者やよく見ているVtuberなどのグッズの持っている数量自慢のような投稿、担降り(推すのをやめた)宣言と共にグッズをぐちゃぐちゃにしたり雑に扱う投稿が本当にずっとおすすめに表示され続ける。疲れる。いつから好きなものや人を応援することが札束で殴り合うような感じになってしまったんだろう。

「100日後に輝く地雷系」でも序盤で描かれているが、やっぱりチェキ券を買いまくった人がいちばん優遇されたり推しと繋がれたりする。

地下アイドル(恐らく地方拠点と踏んでいる)であれどのコンテンツであれ、お金を出している人間が偉いのは認める。でもそれを恐らくお小遣いをもらっているかちょっとバイトしているか……くらいの中高生がなぞっているのは少し辛いものがある。

グッズの数量=愛の大きさじゃない、自分が無理をせずに楽しく応援しているのが正しいあるべき推し活の姿なんじゃないかと思う。

追記:ラニーノーズのファンの人のnoteが話題になったことによって推し活文化のあり方とはみたいな話がインターネットで活発になっていますね。自他境界が曖昧な人間が推し活をするとどうなるかという具体例ではあるけれど、自分もいつそうなってしまうかわからなくて怖い。

 

そしてNEEDY GIRL OVERDOSEの問題点の記事でも言及した、作中でのOD(オーバードーズ)。

コマの横に*薬の過剰摂取はやめましょう*とありますが、それの抑止力はあまり存在しないと思う。それで過剰摂取を抑止できていればNEEDY GIRL OVERDOSEでの超てんちゃんを見てブロンやメジコンに手を出す人間なんていないと思う。

ODのきっかけはSNSで発信されるOD当事者の「トリップ」「非日常」「気持ちいい」「私も理解したい」だと思っている。

全部は「私も理解したい」に詰まっていると思う。

かわいい○○ちゃん(自撮り界隈のメンタルヘルス系の人間)がやっていることだから私もその感覚を理解したい、好きな人がやっているから私も理解したい、あとはトー横で流行っているから……みたいなのも多い気がする。

若者のODはこのままだともっと増えていくと思う。薬局やドラッグストアも咳止め薬を買おうとしたらめちゃくちゃしつこく聞いてくるようになった(ありがたいけど咳き込みすぎてつらいときだと喋るのつらいからつらい!)

どうしたら状況が改善するのかどうかもわからない、これは主にインターネットに住まう人々にとってのカルト宗教でも電波でもなんでもなく救いを求める縋りだと思うから。縋ることは誰にも止められないし止めちゃいけないと思ってるから縋っている人間を怒れない。

これを読んだ誰かが1人でもいいから自発的に回数を減らそうとがんばるとか然るべき機関に相談に行くとかそういうことをしてくれたらかなりうれしいなあ、と思う。

 

私も死やメンタルヘルスに関するブログを書くとき、かなりめちゃくちゃに気をつけている。

ブログを読んだフォロワーから「いちばん楽に死ねる自殺方法教えてください」とDMが来たことがある。私はカウンセラーでもメンヘラご意見番でもない。というかいちばん楽に死ねる方法を知っていたら私はもうとっくに死んでいるだろうし、知っていたとしても教えたら自殺教唆で捕まってしまう。

それ以来、そういう相談DMが来ないようにブログ上でも我関せずといった態度を取らなければいけなくなった。

 

そういうお前はどうなんだ、実在のメンヘラと呼ばれる人間を消費していないのかよ、と思うかもしれない。

私は自らの鍵アカウントで去年自死した女子高生2人のアカウントをフォローしているし、ろろちゃんもメンヘラ神もフォローしている。

精神の状態がかなり悪く自殺したい気持ちのときはTogetterまとめの故人のアカウント一覧と最後のツイートを眺めている。

もし自分が自死を選んだ場合、私のSNSは動かなくなる。それは他者から見たらどういう気持ちなんだろうか……という気持ちと、時間がもう二度と進むことがないアカウントって美しいし悲しいなという不謹慎エモ消費で見ている2つの気持ちがある。

このブログで故人の話を掘り返して書いている時点で私は十分に不謹慎でカスだと思う。

 

しかし私はただの不謹慎エモカスで終わろうとはせず、生前その人が何を考えていたかについて思いをめぐらせる。

昨年自殺してしまった2人の女子高生のアカウント。

最後のご飯として上がっているツイートの写真の奥にストゼロの缶が見える。

私はストゼロアンチすぎてストゼロを飲んでいる人間の周りの原因のような概念のことを文化的貧困と呼んでいるのだが、やはりこの子たちは地雷系などの文化にハマっていたのか、それともトー横とかのメンヘラ文化にハマってストゼロを飲んでいるのか気になってしまった。

地雷系のカワイイの象徴としてピンクのモンエナがトップを張っていた頃なんてかわいいもので、今は地雷系ぴえん女子といえばストゼロとかになってきていた気がする。

成人して3日の地雷系の友達がインスタのストーリーにストゼロをあげていたときはスミノフアイスでも飲んでおきなさい!と叱った。

ストゼロに友達を数人めちゃくちゃにされたりアル中になったフォロワーがめちゃくちゃいるので私は強烈にストゼロアンチです。飲んでみたら意外と飲める味をしているのが憎い。

まあ私の話なんかはどうでもよく、

女子高生が未成年飲酒をしていたことも一旦棚に上げておいて、

最後のご飯のツイートにストゼロが写っていることがすごく退廃的で辛かった。

ストゼロを飲んでいる友達にどうして他にも美味しい缶チューハイはたくさんあるのにどうしてわざわざストゼロを?と尋ねたところ、少量でいい感じに酔っぱらえるからという答えが多かった。

考えすぎかもしれないがやっぱり死というものが恐ろしいという気持ちで人生最後のご飯をストゼロと共に食していたのだろうか。

 

死という概念は誰にとっても平等に訪れるものであるし、恐怖の象徴である。

世界三大宗教やそれに類する大きめの宗教についても死がどのように扱われているかわからないので断定はできないが死は恐怖である。

新興宗教(もしくはカルト宗教)によっては死は救済とされているかもしれないがそれも結局恐怖によって作られたものだと思っている。

全ての宗教や哲学者の形而上学的な話には絶対に生と死の概念が付きまとってくると思う。

やはり死ぬことは全員恐ろしく、死後に苦しいこともまた嫌なのでみんな生きることと死ぬこと、そして死後の世界について考え始める。

本当に宗教分野への知識がなく申し訳ないのに例として仏教用語を用いらせていただくが、成仏ということばがある。

特に仏教徒ではない人間も成仏ということばを日常的というほどでもないが使っているし、少なくともみんな1度は死後の世界がどうなっているのかについて考えたことがあるとは思う。(母親の知り合いのお坊さんは死後の世界は存在しない、と断言していたらしいが……)

 

何もわからないから怖い。早く死にたいし死にたくないし全員等しく死んでしまうことが怖くて震えることも全部ある。

だからみんなアルコールに頼ったり薬を飲んで現実から逃げたいんだと思う。

でも現実は全ての人々に等しく戻ってくるし視界を嫌という程被ってくるし何も分からないことを見せてくる。

それでもインターネットで見える範囲では明るく生きようとしていたし破天荒なメンヘラ神が今でも大好きです。彼女のブログが大好きすぎるのでわたしは今でもはてなブログを使っています。

 

現代のメンヘラは超てんちゃんに影響を受けているというようなことを書いたけれど、昔は厨二病という形でかっこいいと思って自傷をする女の子とかはいても美少女キャラクターに惹かれて自傷行為に走る人はいなかったと思う。

過激な行為に走る美少女キャラクターはだいたい18禁の美少女ゲームのキャラクターだったからだと思う。

後は当時は恐らくエロゲをプレイするオタクはオタクの最下層だと言われていたと思うしエロゲが女子中高生にまで届く方が稀だったと思うから……。

私がもし女子中高生のときに『素晴らしき日々』とかに何かの間違いで触れてしまっていたらすごい危なかった。絶対に高島ざくろの下位互換みたいな電波ゆんゆん少女になってしまっていたと思う。

触れていなくても私の小学生のときの自認はボクっ娘魔法少女でした……。(誰しも自分が特別な存在だと認めたくて仕方がない時期ってあるよね!)

 

素晴らしき日々』関連の元ネタを色々調べていたら、ちゆ12歳さんの2007年の記事で戦士症候群についての記事があった。

『ムー』読者ページの“前世少女”年表 - ちゆ12歳

戦士症候群は80年代にオカルト雑誌『ムー』の文通相手募集欄にて発生したムーブメント。

「戦士として目覚めた」「前世の記憶を取り戻した」「前世で繋がっていた人を探しています」といった急に特殊能力に目覚めたり前世の記憶を取り戻した人と連絡を取ろうとする少女たちが続出した。

高島ざくろへのメールの石の塔の戦い……みたいなやつは完全に戦士症候群が元ネタだと思う。見つけられてうれしい。それはさておき。

思春期特有の微笑ましい思考だと思い過ごせていればよかったものの、1989年には徳島県で小中学生女子3名が解熱剤を大量に飲む""自殺ごっこ""をして救急搬送される事件が起きた。

紙に書かれた筋書きには「前世は美しいお姫様」「前世を覗くために1度死んで戻るつもりだった」と書かれていたらしい。

特定のアニメやゲームの影響ではないものの、数年ほど戦士症候群は続いていたそうなので恐ろしいなと思う。

インターネットではなく雑誌上の文通相手募集欄でこのようなことが起こってしまうのはSNSが発達しすぎた現代では考えられないことだと思う。

 

結局のところ、2023〜2024年のインターネットのアングラではなかった人に知識としてリストカットオーバードーズをもたらしてしまった一端としてあるものとしてNEEDY GIRL OVERDOSEがあることは間違いないけれど、遅かれ早かれトー横の人間などによってもたらされていたことは予測できる。

追記:私はにゃるらアンチではないしどちらかというと尊敬しています、私がこうして文章を書き始めるきっかけをくれたのはおそらく彼です。

 

現実の人間もアニメキャラも、生きることに苦しみを感じたり葛藤しながら生きているけれどアニメキャラは甦れても現実の人間は死んだら生き返れないし、死ぬのは怖いし世界はあんまり美しくない。

最近の若い人は(わたし含め)生きる意味を他人に委ねすぎだと思う、でも委ねないのもかなり難しい。死んでも美しくもなければ生きてても美しくなくて苦しい。

生きてても絶対にいいことがあるとは断言できないけど、それでも生きようね。

 

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生きてインターネットで会おうね!