約2年半もの間を不登校で過ごしたほぼ引き込もり生活を終えて、大学生になった。きちんと大学には行けているし、サークルは楽しい。
でもなにかが抜け落ちてしまった感覚を覚えていて、それがたまらなく苦しい。
高校生であってまだわがままを言って引きこもっていても許された2年半の間、自室とたまに行く家電量販店のゲームコーナーの女児向けアーケードゲームが私の世界だった。
自室では毎日SNSを眺め、アニメを見たりゲームをやって世界や人間関係を吸収していた。感動はしていてもアニメやゲームから吸収できる人間関係なんて薄っぺらいものであって、私は人間関係で悩まされることが非常に多かった。
精神科で出された診断書の「他人との意思伝達・対人関係」には援助があればできる、に丸がつけられていた。援助がなければ自分ひとりではできないのだ。
子供の頃は引っ込み思案どころか自分から遊び相手を探しに行って声をかけていたのに、いつからか人と話すことが極端に怖くなっていた。
変わりたいという気持ちはあるけれど、変わるための場に放り投げられることが怖かった。
それでも私は大学生になった。
大学に行かずに過ごすという選択肢を取ることもできるのだが、私の場合高卒認定で高卒の資格を取っていたので大学に行かなかった場合は中卒になってしまう。中卒では残念ながらできることなんて少ないし自由度は低い。
自室と少しの場所しかなかった、狭かった自分の世界が急に広くなった。
自分のいていい場所なんてないと思っていたけれど、やりたいことも見つけられた。
サークルはすごく楽しい。なのに不安と窮屈さが心を蝕んでいく。
「僕はにゃるらになってしまった」の1章でにゃるら氏が自室という名の閉鎖空間で無を過ごしていた頃の話をしていた。少し前の私と同じだと思った。そして酷くその状態が羨ましい。
無を過ごしたい。人と関わることを諦めて殻に閉じこもって過ごしたい。
でもせっかく真っ暗な蛹から蝶になれたかもしれないのに戻るのはとても勿体ないと言われる気がするし、私もどこかでそう感じている。
あの時脱ぎ捨てた殻がほしい。あんなに狭かったところで脱ぎ捨てたはずの殻が見当たらない。
他者と壁を作りたくなってきたことで精神状態が悪化しているのを感じた。1人で本を読んでは文章にして発散している。文章にしないと苦しいのだ。
誰か、私の殻をしりませんか。